ブレイド・マスター(繡春刀)2/3

 上官 張英に率いられ、大勢の錦衣衛らが厳佩韋の捕縛に出向く。「年寄りひとりに手荒な真似は必要ない」と張英は言い、盧剣星に踏み込むよう命を下した。
 門を開けたのは、厳佩韋の子 厳峻斌。周妙彤と思いあう男だった。
 剣星は義兄弟らほか少人数で門をくぐり、多くの手練れの食客に取り囲まれた。厳峻斌の手配であったが、父 厳佩韋は手向かいを禁じ、「一緒に参ろう」と言った。
 しかしその時、塀を越して門外から矢が射かけられ、佩韋が傷つく。次々に矢は飛んでくる。峻斌は叱りに震え、「こいつらを殺せ」と怒号する。
 沈煉は応援を呼ぶが、張英が配下に命じる。「門を開けてはならん。閹党を逃すな」。さらに、外から門に錠をかけさせ、さらに矢を射かけさせた。閉じ込められた錦衣衛らは、食客の攻撃と上からの矢とに追い詰められた。

 靳一川の二刀流に目を奪われる。

 錦衣衛の部隊から少し離れたところに輿があり、趙靖忠が乗っていた。運ばせた茶を飲みつつ、謀の結果を待っている。

 厳峻斌は父を横たえ、靳一川に斬りかかった。ちょうど咳の発作に襲われ靳一川が危うくなったところに、沈煉が飛び込んで峻斌の腕を斬り落とした。
 「なぜこんな目に‥‥」峻斌は茫然となって呟く。

 「静かになった。門を開けろ」と張英が指示した。
 門が開くと、そこには血まみれの四人が立っていた。盧剣星、沈煉、靳一川、そして厳峻斌である。
 三人の死亡を確信していた張英、そして錦衣衛らは、あっけにとられて言葉もない。

 輿の中へ部下が声をかける。「あの三人が出てきました」。趙靖忠は目を見張る。
 輿は去っていき、それに気づいた靳一川が不審げな面持ちで見送った。
 

 錦衣衛に戻った張英は、まだ冷静さを失っている。そこへ抜き身の刀を提げた沈煉が血まみれのまま現れ、三人の転属を迫った。三百両もちらつかせると欲を満面に表した張英は承知し、盧剣星の転属先での昇進も請け合った。
 沈煉はこれを信じ、刀を収めた。
 

 「旦那様からこれを」と声を潜める相手から、沈煉は特赦状を受け取る。
 過日、許顕純の捕縛で陳家に踏み込んだ際、刑部の特赦名簿に周妙彤の名を加えることを陳に誓わせたのであった。
 

 靳一川は医者宅を訪ね、言葉と視線を張嫣と交わして帰る。幸せそうな笑みを浮かべるその肩を押さえる手があった。
 丁修である。一川の顔からは笑みが消えて、幸せはかけらも残らない。
 「期限だ、金をよこせ」と丁修はむしろ穏やかに言った。「盗賊が錦衣衛を殺してそいつに成りすます。バレたらただじゃすまない」。否定しないところを見ると、それが真実なのだ。

 一川が睨みつけた時、「百両だ」と傍らから手が付きだされた。沈煉は丁修に金を渡し、「つきまとうな、消え失せろ」と言ったが、丁修はいかにも楽しげに笑い、去った。
 「あいつは‥‥」と一川が口を開くと、沈煉は遮った。「言わなくていい。お前も金のことを聞くな」。
 

 三人は宰相の宴席に招かれた。
 道すがら、盧剣星が沈煉に問うた。「何を隠している。どこか変だぞ。魏忠賢の死んだあの晩、いったい何があった」。沈煉は偽りを通した。「顔向けできないことはしていない」。「信じよう」。

 席に着くと上席には張英もおり、ふてぶてしい笑みを沈煉に向けてきた。
 宰相 韓曠と趙靖忠が到着し、韓曠が盧剣星を上席に招く。身分が違うと辞退すると、「おぬしの祝いの席だ」とさらに招かれる。靖忠が「陛下がお喜びであったぞ。魏忠賢を殺した手柄に続き、厳峻斌を生け捕った」と言う。
 剣星に昇進が告げられ、新たな官服が与えられた。「おめでとう。同席の資格はあるぞ」。感謝して上席へ進み出る剣星。
 すると、靖忠が「笑い話があるぞ」と語りはじめた。「昇進を焦った盧剣星は、今日、張英に三百両で根回しを頼んだ。必要なかったな」。追従して哄笑が巻き起こる。張英もせせら笑っていた。
 剣星は身に覚えのないことで喜びに水を差された。はっと振り返ると、凍った表情の沈煉がいた。促されて座り、靖忠から転属はさせぬとの申し渡しを受ける。剣星は沈煉の仕業と確信する。
 沈煉は勝ち誇った様子の張英を睨みつけ、堅くこぶしを握り絞めた。

 韓曠が盧剣星に銀三百両の出所を尋ねた。答えられずにいると、推測が語られる。「魏忠賢を殺して莫大な金銀を持ち帰ったな。錦衣衛が上前を撥ねるのはよくあることだ」。何ごとか言いかける剣星を制し、「責めているのではない。ただ今回は必要なかった。この昇進はおぬしの実力だ」。
 この時点で、遺体の検分の時に疑いを向けてきた韓曠が穏やかに剣星に接し、口添えをしてくれた趙靖忠が嘲笑する、逆転が起きているように見える。しかし、そう単純なものではない。
 韓曠が立って声を張った。「三日後検視を行う。魏忠賢の遺体ならば、陛下が閹党の全滅を宣言する」。

 宴の後、靳一川は宴で笛を奏でていた男と会う。男は丁修で、こんなところまで脅しをかけにやってきたのである。
 そこへやってきた趙靖忠が、いきなり丁修に打ち掛かり、いなされて「いい腕だ」と褒める。
 そして、一川は靖忠の手の矢傷に気づくのであった。
 

 帰宅すると、盧剣星は沈煉を殴りつけ、「俺の官職を金で買ったのか。義兄弟の顔に泥を塗りやがって」となじる。沈煉は殴られるままになっている。靳一川が仲裁に入るが、剣星に蹴り飛ばされ、咳き込んで血を吐いてしまう。慌てた剣星は、沈煉を離して一川に駆け寄り、気遣った。
 その様子に深く悔いたらしい沈煉は、膝をついて告白した。「魏忠賢はまだ生きている」。

 沈煉は、すべてを話し、隠していた金を出した。「まさかこんなことになるとは」と呟く。
 靳一川が誰に向けてともなく尋ねた。「つまり、俺たちを狙っているのは魏忠賢か」。
 


 隠れ家の小屋で、趙靖忠が魏忠賢に兵をねだった。「明後日の検視までにあの三人を消します」。
 靖忠は察する。「あの三人の前でぼろを出したか」。
 老獪な思考は決断が速く、「わしと国外へ。もう居られまい」と勧めた。しかし、若い靖忠は踏み切れなかった。
 

 靳一川が、騒動で忘れていた重大事項を思い出す。「昨夜の賊は趙太監(趙靖忠)だ」。疑念を示す沈煉にたたみかける。「手の甲に矢傷が。沈兄貴の鏃は独特だから分かる」。
 沈煉は答え代わりに言った。「俺を告発しろ。責任を取る。巻き添えにはできない」。
 黙り込んでいた盧剣星が口を開いた。「逃げよう。兄弟で楽しく暮らそう」。
 

 趙靖忠は丁修を探し出し、靳一川の殺害を依頼した。「愛しい弟弟子ですから、二百両では安い」。

 靳一川は張嫣に会いに行った。別れの言葉はあまりに短くて、去った一川を張嫣が追おうとしたところへ丁修が現れた。
 

 沈煉が荷物をまとめていると、周妙彤が訪ねてきた。
 「君に」と沈煉が特赦状を渡し、いっしょに発つことを求めると、「それが身受けの条件」と上目遣いに妙彤が尋ねる。沈煉は答えない。
 ためらった末、妙彤は、尋ねてきた理由を話しはじめた。「厳家の若様(厳峻斌)を助けてほしいと頼みたくて。牢に入れられたと聞いたわ」。沈煉は隠さず聞かせた。「俺が捕まえた。奴の腕を‥‥」 それでも頼れるのは沈煉だけらしく、妙彤は「あの人を助けて」と哀願した。「助けてくれたらあなたと行く」。
 出発時刻の申し合わせにやってきた靳一川に「彼女を頼む」と言い置き、沈煉は刀を手に出かけて行った。

 厳峻斌は拷問を受けていた。
 拷問官に賂を渡して「他言無用だ」と追いだし、縛めを解いたが、峻斌はもう動けない。周妙彤から託された手紙を出してみせても、「目が見えない」。沈煉の顔が痛ましげに曇る。「申し訳ないが読んでくれ」。
 これはつらい。思い人が恋敵に宛てた手紙を、恋敵に読んで聞かせるのだから。罪悪感にも苛まされただろう。沈煉を葬るための罠に使われた結果なのだから。
 沈煉は手紙を広げ、峻斌に読んで聞かせた。
 

 沈煉の家では、周妙彤と靳一川が沈煉の帰りを待っている。すると、門を叩く音がした。
 一川が応対に出ると、ひとりの子どもがいて「丁という方から靳様に」と匂い袋を差し出した。張嫣のものである。
 医者宅に向けて一川は走った。医者が庭で死んでいた。口笛の音に振り向くと、家から丁修が下肢あらわな張嫣を抱えて出てきて、一川に投げ渡した。「ある人物からお前を消せと大金を積まれた」。
 一川は意識のない張嫣の衣を整え、そっと抱きしめる。すると、丁修が刀を抜き、「女の趣味が良いな」と言う。一川は憎しみを込めて丁修を見据えた。

 部屋の外から「検視が始まります」と声がかかった。趙靖忠は命じた。「魏廷に伝えよ。殺れと」。

 沈煉は帰宅した。しかし、待っているはずのふたりの姿はなく、卓に周妙彤の書き置きがあった。
 沈煉は妓楼に走り、主人に「妙彤を身受けする」と伝えた。
 


 家で思いに沈んでいた盧剣星は、ややあって新しい官服に着替えた。そして、自首するため錦衣衛に向かった。
 これまで幾度も通ったであろう道、そしてもう戻ることのないであろう道を歩んでいると、魏廷が行く手に立ちふさがった。